栄養士のお仕事

委託栄養士のお仕事~リアルお仕事体験記~

私が某委託会社に新卒で入社し、栄養士として病院に勤務していた頃のお話です。

進路を考えている栄養学生、就活中の学生、委託会社を考えている方々へ、

少しでも参考になればと思います。

面接でズタボロになったのに。

私は、食品会社の商品開発希望で就活をしていたのですが、大学4年生といえば国家試験。

これに合格しなければ、内定もらえたとしても場合によっては取り消しになることもあります。

資格が必須の職場ならなおさら。

勉強しなきゃという焦りもあり、夏には実習もある。7月までには内定取って、実習と国家試験対策に集中したい!と思っていました。

面接まで進んでも落ち続けた私、40社以上受けたかな?「もうだめか。」と思っていたところへ、就職課の担当者にも、「委託会社受けたら?」と勧められ、言われるがままに説明会へ。

説明会はいいことしか言わない。それはもちろん。わかっている。

待遇や条件を見て、まあここでいいかと、某給食会社にエントリー。

まあ、現場の経験も積めるし、どっかに飛ばされて一人暮らしもいいな~と思い、プラスに考えました。

大学生のころから、先輩が委託行って1年で辞めてきたとか、メンタルやられて休職したとか、泣いて電話してきたとか、

”委託=ブラック”という考えも蔓延しており、不安でいっぱいでした。

そして臨んだ面接。集団面接で相手が5対こちら側が3。

何聞かれたかわすれたけど、緊張がピークになって、頭がまっしろになって、「少し時間ください」といった覚えがあります。。。。面接講座で聞いたやつ。

そんなズタボロだった私でしたが、内定いただけました。

・・・・・絶対人員不足だろ。って思いましたが、まあとりあえず内定もらえたからいっかと、その時は就活からの解放を願ってしまっていました。

勤務地はあれだったけど、待遇はいいかもしれない

入社前の集まりがあり、そこで勤務地が発表されることになっていまして、

どっきどきの勤務地発表。

希望勤務地と、実家の住所を考慮されていると思われたが、私の勤務地は、

岩内町

発表後にその地区の担当者(エリアマネージャー)と情報交換する時間が設けられたが、

まず「岩内ってどこですか?」

行ったことはあるはずでした。いや、通り過ぎることが多かった地名。

親に報告したら、父がリーマン時代に2週間に1回くらいいっていたとな。担当していた地区だったと。

ほぉう。

まあそこまで実家から遠くもなく、ド田舎でもなくて、まあいっかと。

そして、札幌の人は複数人だったりするのが、私は単身。それも少し不安要素でした。

待遇に関しては、主に給与になるが、大手企業というだけあって資格手当もつくし基本給には満足。田舎だからお金使うところもないし。このころの貯金がニートの時に結構助かりました。

残業代は大分損した気がしますが、資格手当、燃料手当、研修の時の交通費も出て、(当たり前かもしれないけど)お金には苦労しませんでした。管理受かったのも大きいですが。

職場環境と人間関係はしんどかった。。。

職場はその町で一番大きい総合病院であり、急性期病棟でした。

急性期の何が大変て、入退院の出入りが激しく、食数管理が目まぐるしく大変なこと。そしてそれに伴って食材管理も大変でした。なんど向かえのスーパーに走ったことか。

食材費を抑えるために、近くのスーパーやドラッグストアで買ったりするものもありました。

先輩からこれはここで買うと決められ、週に2回とか、夜に買いに行って、ということがありました。

そして、買い出しは栄養士の仕事となっていて、休みの日でも、調理員から電話がきて、「パンの人は入院したから買ってきて」とか「フードプロセッサ壊れたから買ってきて」とか。「チーズ使うのに足りない方買ってきて」とか。。。。。。

実家に帰ってるときや、旅行にいってるときなんて、おまいら休憩時間あるんやから買ってこいやー!とか、いろいろ心の中で暴言吐いていましたが、それもこれも自分の発注ミスや食材管理が原因だったりして、運の悪さも。。。ケータイ投げたこともあります(笑)

そんなこんなで買い出し要員も担ってました。

わたしの職場にはなぜか、事務員がおり、栄養士の補佐的な役割の人がいました。ですが!栄養士資格はもっていないただのおばちゃんです。少しは助かってましたが、調理員でもなければ栄養士でもない、半端な立場の人でした。

その人の使い方もよくわからず、今まで通りの仕事をやってもらっていて、栄養士の仕事は栄養士で、献立作成から発注、食材・在庫の管理、消耗品の管理はすべて私。

なんでこんなことまで?ということもやってたような。とにかく、普段の入退院が多すぎて、それによって自分の仕事時間が削られ、残業という流れ。

夜見回りにくるおじさんに顔を覚えられ、心配されるくらいでした。ひどいときは夜11時とか?

朝も本来であれば9時からなのに、検食と朝の食数管理のために8時くらいに出社。出勤時間てなんだっけ?

そしてタイムカードの押し方。人件費のこともいわれて、あなたは単価が高いからと、先に押してから残業してと言うような上司がいました。じゃあ配置するなよ。

最後に苦しんだのは、食材費とかお金の計算をしていたときですね。1日いくらかかっていて、利益これしかないよとか、この地区はどうだとか、数字のことでモヤモヤしました。病院もビジネスなのか。世もrgy

人間関係ですが、私は1年目は厨房に入り、1調理員としておばちゃんたちに混ざって仕事してました。先輩栄養士が同じ大学の先輩で1人。この先輩、2つ年上だったし、仕事もできる人なのに、管理栄養士に受からなかったそうな。

給与も当然私のほうが上。こんなやりづらい環境ないだろ?

そして、厨房のおばちゃんたちとのコミュニケーション。話し好きな人やら、教えてくれる人もいたが、気に食わないのかなんなのか、注意ばかりしてくる人、注意の仕方があれな人、もいました。

私の性格上、注意されると酷く落ち込むし、自分を責める。必死にがんばったのですが、そんな毎日に耐え切れず、それに栄養士なのになんで厨房でこんなことしなきゃいけないの?という疑問も生まれ、入社1年でうつに近い状態になり。やっと仕事を休んだこともありました。

仕事辞めようと決意したこともありましたが、その後先輩が辞めることになって、栄養士業務に上がれることになり、退職が先延ばしになりました。

栄養士業務の引継ぎ時は、厨房業務で早番5時から仕事したあと、昼から引き継ぎとか、とにかく時間と体力が追い付かない状態でした。

栄養士業務に上がってからも、イレギュラーなことがたくさん起こり、なぜ自分が!と思いながらも食らいついていきましたが、それでも心はずたずたになっていき、最後の年は後輩もはいってきたので、音楽活動したいからこんな田舎にはいられないといい、退職を伝えました。実際音楽活動できてませんがね。

調理員のチーフも人間性を疑うような酷いこと言う人だったけど、かと思えばご飯連れて行ってくれたり、心配して話しきいてくれたりして、裏表がない人ということはわかった。でも、あなたに傷つけられた心の傷はまだ癒えてないですよ?いまも。

先輩にも迷惑かけたと思ってますが、びびりな私は、うまく会話もできてなかったなあと思います。もう少し話すこともできたんじゃないかって思います。

病院栄養士さんとは入った年も一緒で、最後には一番打ち解けたような気がしました。注意されたり怒られたこともありましたが、目の前で私の成長を一番に見てくれていた人で、助言してくれたりいろいろ話を聞くこともできて、一番良い相談相手でした。いま、どうしてるかな?

後輩ちゃんも途中から入ってきて、短大卒の栄養士でしたが、おなじ人種な感じがして、すごく話しやすい子でした。研修や忘年会なんかも一緒に行けて、この子とは楽しく過ごせました。

しかし、後輩ちゃんには一番苦労かけてしまったと思います。辞める月の1か月前くらい、来週から独り立ち!というときに、私が体調を崩し、ノロの疑いが出て、1週間ほど出勤停止になりました。

急に一人になって不安もあったと思います。退職してから聞いた話ですが、後輩ちゃん、栄養士業務ができなくなり、その1年後に入った後輩ちゃんが栄養士業務やっているそうな。メンタル?かな?

まあ、こんなことがありましたが、無事に有給もとって辞められたので、すんなり辞めるのって難しいなと思いました。

給与が高いのに経験は下だからと、嫉妬心むき出しで来る人もいます。そして女の職場が多い。

田舎だと、よそ者、部外者という認識が強いのか、人間性なのか、まったく話そう仲よくしようとか思っていないのか、同じ空間にいるのに気まずい空気になることもありました。本当に、居心地悪かったな。

あなたたちに負わされた傷は、古傷となって疼くときがあるんですよ。本人には自覚のないことなんだろうけどね。

研修制度はしっかりしてる。

大手の給食会社というだけあって、給食のソフトは使いづらかったけど、社会人マナーや数字の味方、献立作成や食材管理の研修など、グループワークや調理実習などもあり、研修内容は割といいかなと思いました。2~3か月に1度と定期的に札幌にいくのですが、ついでに遊びに行ったりできて気分転換になりました。

同期、後輩に救われて

同期といっても、ほぼ大学の同級生でしたが。

研修の時に会って、飲みに行ったりして、他の現場はどうだとか、どこぞの担当者はどうだとか、情報交換もできて同期っていいなと思いました。

そして、なにより、2年目に入ってきた後輩ちゃんが、職場の癒しにもなって居心地が少し良くなりました。年が近いのもあって話も合う。趣味も近いものがあり、話も弾んで。後輩いなかったら辞められなかったし。

病院だからこそ成長できた

厨房のおばちゃんにも言われたけど、急性期の給食の忙しさは半端じゃないので、ほかに行くと、流れがゆっくり、ゆったりして見えます。え?なんでそんなにゆっくりしてるの?と思います。

後の施設に入ったときなんか、この人数でこれしか作ってないんか?とか、シフトに文句言ってる人もいて、そんなんで?とか思うこともありました。対比って怖いわ。

そんな厳しい環境だからこそ、成長もできたのかなと思います。ですが、戻りたいとは思いません。二度と。戻るとしたら、パートがいいな。

そして、病院だからこそ、治療食の献立の作成があり、臨床知識が活きる。実際は病院の栄養士もいるし、医師の指示のもとで作成するし、さらには、新たに1から献立を作ることなんてない、時間がないため、実践することはあんまりないかもしれません。ですが、病院の献立ってこうだったらいいとか、できるなら患者さんの様子や状態を見たり、看護師から聞いたりして、献立にフィードバックできるようになるのが理想。新卒で入ってそんなことまで、私は手が回りませんでしたが。

どんな環境でも、生かすも殺すも自分次第だと思います。

書ききれないほど、悩んだり、苦労した、将来を考えた、そんな委託時代でした。

詳しく具体的にききたいことがあればコメント欄ご利用くださいまし。

ABOUT ME
せんば千波
管理栄養士として委託会社、障がい者施設を経験。仕事でのメンタルブレイクをきっかけに好きなことをしようと心に決め、働き方、生き方について分析、学習するようになった。心と体の健康を追求し、言葉と音楽の力を信じて生きている。物語ゲーマー、旅と料理が好きな健康オタク。姪っ子育児に奮闘中!