今回のお話は、実家にムスメちゃんがやってきた時の話です。初めての子育てに奮闘する独身26歳。
姉のがんが発覚し、家族それぞれがサポートしていたが新たにモラ夫問題も同時に発生。相談した結果、実家に戻って通院しながら暮らすことに。久々の家族4人が集結。もう一人加わったため、私は仕事を辞めてムスメちゃんの育児と家事をすることになるのだが…
アイドル爆誕
2019年6月最後の日。
前日にじいじが一人、羽田空港まで迎えに行き、私とばあばは新千歳空港で待機していた。ソフトクリーム食べながら。
お昼頃に飛行機が到着して、姉とムスメちゃんと再会。
ムスメちゃんと私は約半年ぶりにあって、成長の早さに驚いた。前に会ったのは生まれてから5ヶ月くらいだったから、その時に比べると声もよく出ていて、手足も力強くなっていて、体も大きくなっていて。
姉は少し痩せた感じがしていた。開腹手術をしたせいか、傷口をかばうようにしていて大変そうだった。
でもこの頃は、病気がわからないほど明るくて元気で、病気を治してバリバリ仕事をする気バリバリだった。
実際に、生活に不自由がないくらい動いていた。
新千歳空港から家に帰るまでの間、姉とじいじは昼ごはんがまだだったのでラーメン屋へ。
ラーメンを食べている間、残った3人はベビーカーで周辺を散歩。
ベビーカー軽くて押しやすい。
ムスメちゃんも外の様子をキョロキョロ見回していた。
車の中でもみんなの顔見てたもんね。人見知りしない子でよかった。
変化の多い日だけど、大丈夫かな。
道中、じいじもバックミラーでほぼ孫の顔を見て、目尻のしわが消えない。
子どもの威力よ。いや、孫か。
ばあばも右に同じ。
チャイルドシートには慣れていない感じだった。そりゃそうか。これからは車移動が多くなるよ。
家に到着
ムスメちゃんはハイハイマンだったので、床の掃除を念入りにするようになった。
家について荷物を整理し、部屋も赤ちゃん仕様に。
私と姉が子どもの頃に使っていたおもちゃや絵本が出てきて、懐かしさを感じながらも、これから子育てが始まるんだなと実感した。
姉からオムツの替え方や離乳食、ミルクの作り方などを伝授。
じいじとばあばは大体わかっててやっぱり頼もしかった。さすがである。
私だけあたふたしていて。抱っこもぎこちなかった。でも、首がしっかりしているから、前回きた時よりは怖くない。
ムスメちゃんは家の中をぐるぐる回って、おもちゃにも興味を示していた。
家族全員の意識がムスメちゃんへ。子ども中心の生活が始まった。
26歳独身育児に奮闘!
二人が来てから数日間は、じいじも仕事を減らしており、ばあばも転職(勤務先を変えて)まだ新しい職場に行く前だったので、一緒にいることができた。私は6月で仕事を辞めていたので、家政婦ばりに家のことを中心にしていた。
ムスメちゃんはまだ家の中で遊んだり、お昼寝も多い時期だったので、比較的自分の時間は取れていたが、以前よりは当然減った。
空いた時間は勉強やブログ、クラウドソーシングなどをこなし少しでもお金を稼ごうとしていた。
もうすぐ1歳になるといってもまだまだ赤ちゃんで、何をするにも大人がいないとできない。
遊び方や接し方が初めはわからなかったけど、段々とできるようになっていった。意思疎通も難しかったけど、一緒に過ごしているとなんとなくわかってきた。
まんまるぱっちりの大きいお目目。かわいい。
服を着せるのもうまくできなかったけど、繰り返していくうちにできるようになった。
そして、じいじが張り切って毎晩寝かしつけしていたが、初めてきた日は環境の変化のせいか、夜泣きが酷くて可哀想になった。
それも慣れていって、のちにじいじがいないと寝れない子になってしまうのである。
お風呂もじいじが入れることになっており、風呂嫌いのじいじが毎日お風呂に入るという、生活改善ぶり。
こうして昼間は私と姉中心、夜はじいじ中心に世話をするという構図が出来上がった。
ちなみにばあばはサラリーマンのお父さん的な存在、夜ご飯の片付けを終えて座ったら、ムスメちゃんがかまって欲しいと寄っていくように。
家族みんなでムスメちゃんに尽くしていた。だってかわいいし。
子どもの成長とともに、母親も成長していくんだなと思った。そして、一人で世話してたばあばすごいなと。当たり前だったのかもしれないけど、それを当たり前にこなしていたのが尊敬できる。
姉のズボラなところや制限があることに関しては、補助するようにして過ごしていた。
母親修行の日々。