病気が発覚した出来事から実家に姉がムスメちゃんと共に帰ってくる時までの話。
病気発覚
2019年3月某日
当初良性の腫瘍か何かがあって手術する予定だった所を、入院予定日より前に腸閉塞を起こして緊急入院。大手術をして、取れる腫瘍はとり、人工肛門がつけられることに。
当時は姉が結婚していて、夫と0歳のムスメちゃんと横浜に3人で暮らしていたため、ばあば(私の母)がムスメちゃんの世話や家事を手伝うために、入院する予定日の前日から仕事を休んで行っていた。
当初の予定が大きく変わり、姉のいない家にばあばと夫とムスメちゃんの3人。うまくいかなかったのか二人の間でいざこざが起き、そのうちにじいじが仕事で数日遅れて到着。東京で行きたいライブがあったので当初からその予定だった。
この時、この家の問題を知ることとなったのである。
数ヶ月後に生体検査の結果からがんであると知らされた。がんだとわかったのが6月頃だったと思う。何かあればすぐに連絡を取り合っていたから、おおよそ合っているであろう。姉の夫からじいじへ電話が入ったことでがんであると知った。
発覚したのは病気だけではなかった
世の中は平成から新年号の令和に移り変わろうという時。G.W.の期間に私は一人旅に東京に来ていた。当初は姉の家に泊まる予定だったが、いざこざがあったために姉夫への不信感を募らせていたため、急遽ホテルを取った。飛行機を変えるのにはタイミングが合わず、そのままの予定で行くことに。
旅行中に姉と二人で会うことができたので、ばあばとの話や体調のことなどを聞くことになった。
その時の姉はまだ、夫のことを信じていたと思う。でも、次第に自分が我慢を続けていた、苦しい思いをしたことを気づき始めたんだと思う。
おそらくだけど、自分が大丈夫だと言い聞かせていたんじゃないかな?長女で昔から我慢強かった性格が災いしたか。
幸いにも姉の友達にモラハラが発覚して離婚調停中だという人がいたので、その人からも話を聞いていたらしい。
そうして、姉の家の問題であるモラハラが発覚したのである。
ばあばの話からも夫に対しての不信感が強まっていった。そしてこの時はまだ知らなかったが、後に聞いた話では姉も新婚性格の中で傷つく言葉や態度に苦しんだという話を聞いて、胸が詰まりそうだった。
姉と今後のことを相談
2019年6月某日。姉は抗がん剤治療を始める準備として、cvポートの造設手術のために横浜の病院で入院していた。今後の治療のことや病気のことを先生から詳しく聞くためにばあばと共に姉が入院している病院へお見舞いに。そこで姉に話を聞くと、
ばあば「抗がん剤治療、どうする?ムスメちゃんもいるし、うち(北海道)帰ってきて治療するかい?」
姉「(食い気味で)帰る!」
あれやこれやと話し、実家に帰って治療をすることを即答したのであった。
その後、先生と都合をつけて話を聞いた。それまではがんという情報しかわかっていなかったのだが、体の状態やがんの種類などを細かく説明された。手術では全ての腫瘍は取りきれず、リンパまで転移している大腸がんステージ4であると診断された。
余命も宣告された。抗がん剤治療をしても3年かなと。
素直に飲み込めなかった。
医者の言うことなんて
責任問題もあるから少なく言っているだけだと
でも、それよりも悔しかったのは
「管理栄養士を持っていても無力だったこと」
がんセンターの栄養士でもない限り、詳しい人は少ないのかもしれない。
でも、がんになる人は増えている。まして大腸がんといったら、日本人の男女ともに上位のがんの種類。
悔しさと虚しさと、不安や焦り、メンタルブレイクした時よりも打撃を受けた。
猛勉強の日々その1
がんだと発覚してから情報を集めていたが、話を聞いて帰ってきてからは特に、仕事以外の時間を全て情報収集や勉強にあて、がんに関する本を読み漁った。
お見舞いの帰りには、東京にあるがん封じのお寺にお参りに行った。
なんでもいいから自分のありったけの時間を使って、できることを探していった。
この時に読んだ本は、希望が見えるような本ばかりだったのかもしれない。そして、本人が読んで実行していかないと意味がないものだったと今では思う。でも、その時には読むことで「治るんだ」と言う希望を持って、明るく前向きに暮らしていけたのが良かったと思った。
本に書いていることが真実とは限らないけど、信じてみてもいいかなと思える内容。
技術も経験もない未熟な栄養士の自分に、仕事のできない自分に生きる意味と希望を持たせてくれた。
「がんは食事で治る」
徹底することで、治るのかもしれない。そう思わせてくれるだけでも、良かったと思う。
治らないんだと諦めて、普段の食事のままだったら、もっと手遅れになっていたかもしれないから。
今はそう思いたい。
私が買った本をじいじとばあばにも読ませて(全部じゃないけど)、少し希望を持ってくれたかなと思う。
がんについて、栄養士で少しだけ勉強していた私でも知らないことがたくさんあった。
じいじとばあばにも、自分のお客さんで抗がん剤治療をしている人もたくさんいるから、話を聞いたことはあっても、症状は人によるに年齢や特徴だってそれぞれ違う。
だから詳しいってほどでもない。
知らないからこそ、怖かったんだと思う。
未知のものには恐怖を覚えるもの。勝手に悪い方に想像したり、ドラマに出てくる話が本当だと信じてしまって、真実から目を背けてしまうことだってある。
がんのことや抗がん剤治療のことを知って、闘おうと決意した。
仕事を辞めて家族集結
実家に集結して、問題となるのが一つ。
ムスメちゃん0歳。
まだママっこなのである。
ちなみに私はというと、当時実家暮らしで派遣社員だったが、コールセンターのストレスにやられて仕事を辞めようとしていた。
家でできる仕事をしながら、家事育児と姉を直すために専属栄養士としてがんばりますと決意し、退職。
じいじとばあばは家族のために働くとそのまま仕事を続行。
姉はお金を稼ぐために色々とやっていたり、まだやりたいこともたくさんあるようで。
引っ越してくるのが6月の最後の日。さて、どうなるのかな?ドキドキ
(赤ちゃんの世話できるかな)